速く走る1

・走り方教室を作った理由

走り方を学ぼうと思った理由は、自分の子どもが頭のいい子に育ってほしいからだ。

整骨院にはいろいろな患者さんが来る。なかには、子どもが東大に行ったという人もいる。僕は育成にとても興味があるので、必ず「気を付けていたことは何かありますか?」と聞くことにしている。そのときのメモを少し見てみると

【子ども】

朝ご飯を食べる、自分で計画立てる(勉強に限らず、夏休みとか)、夜9時には寝る。

【親】

子どもの自己肯定感を高める努力をする、テストの間違いは叱らない(むしろチャンス)、信号を守る、教科ではなく勉強のやり方を教える。

・・・などと書いてある。

子どもの自己肯定感を高めるいうのは、劣等感を持たせないということ。

しかし、僕自身がそうだったように、子どもも運動音痴で生まれてきた。飛んできた風船もキャッチできないくらい。でもなんとか体育で自己肯定感を持ってほしい。となると、足を速くするのが手っ取り早い。子どもの世界では、足が速い子がヒーローだ。

どのスポーツに重心を置くかは、意外と大事なことだ。

自分は子どもの頃に柔道をやっていた。柔道部では一番弱い。クラスでやっている子はいなかったので、クラスでは一番強いはずだ。しかし柔道の強さをクラス内で発揮することができるイベントは無い。ということは自己肯定感としては『柔道が一番弱い』という部分しか残らない。子どもにスポーツをさせる場合、もちろん本人がやりたいものをやらせてあげるのが一番いいけど、可能な限り学校の体育でヒーローになれる種目をやらせてあげたほうがいいと思う。体育の成績も上がるし、一石二鳥となる。テレビで東大に合格した子どものやっていた部活が紹介されていたけど、陸上やサッカー、水泳が多かった。柔道はほとんどいない。自己肯定感の育ちやすさはかなり大きいように思う。

どのスポーツをするにしても、足が速いことは有利になる。せっかくなら足が速い子どもになってほしい。と考えた。

そこで、スポーツジムで夏休みにやっていたかけっこ教室に参加してみた。すると『スキップ10回』『けんけん10回』というように、楽しく1時間過ごすことができた。「楽しそうだけど、これって速くならなくね?」と感じた。

いまになってみると分かるが、これは田舎のユーザー層に合わせると仕方のないことだ。走り方を直すには、まず仕組みを理解する必要がある。僕が説明を始めると、たいていの子どもは表情が消える。能面のようだ。富士市の子どもにとって運動とは『頭を使わないでできること』だ。富士市ではスポーツジムでのかけっこ教室が正解だ。何も考えずに楽しくできる。ただし商売としては正解だけど、速くはならないと思う。

それならばと陸上クラブに通わせてみた。専門家ならどうにかしてくれるに違いない、と思って行ってみたが、フォームの指導などは一切なし。『今日は競技場の周りを走ろう』『今日は100mを何本か走ろう』と、ただ走らされただけだった。しかもかなり長い時間。知識のないコーチが、自分のクラブの勝利を目指すため、練習量で補おうとする。子どもの将来の伸びしろを使いつぶす。絵にかいたような田舎あるあるだった。

どうやら、富士地区には陸上の専門家はいない。ということが分かった。

自分でどうにかするしかない。まずは勉強だ。もともと整骨院の資格を持っているので骨と筋肉については詳しい。でも子どもの成長とか、栄養とか、そういう面では知識が弱いと感じていた。ということで整骨院を閉め、看護学校に入りなおした。知識がなければ正しい動きが理解できない。3年間は収入がなくなるが、なんとかなるだろう。

仕事をしていなくて暇なので、箱根駅伝に出ているような陸上の強豪校が合宿をしていると聞くと、同じホテルに宿泊して練習を見学させてもらったりもした。

結果的にこれはものすごくよかった。今ではYoutubeで陸上選手やコーチが言っている専門用語の意味が分かる。むしろ間違いも指摘できるくらいの仕上がり。

看護学校に通いながら目標を決めた。

どの地区でもトップの高校に行けるのは同年齢人口の約10%である。この地区でも人口3000人に対し、県立富士高校の定員は320人。10%というのは分かりやすい指標となる。走りにおいても上位10%という目標は分かりやすい。クラスの男子が20人いたとして、2番までに入れば運動会のリレー選手になれるからだ。

まずは僕が正しい走り方を学ぶ。そのために看護師の免許が取れるくらい勉強する。子どもはリレー選手をめざす。

その目標に対して、僕はある決まりをつくった。

【走り方を練習するのは、週に1回、1時間だけ。】

練習のクオリティだけで速くする。

これは成功だったように思う。1時間だけと書いてあるが、50mを1本走っただけで終わりの日もあった。そのほうが1本に掛ける本気度が変わってくる。

陸上というのはとてもデリケートな競技だ。1時間練習があると分かっていると、たとえ自分で「50m本気で走ろう!」と思っていても、99%の本気しか出ない。100%は絶対に出ない。

しかし、50m1本走って終わり。という設定にすると、100%の本気が出ることがある。

ベストの走りをすることで、子どもは速くなっていく。

例えばウサインボルト選手は9.58で走ることができる。ボルト選手の体力であれば、100mを何回でも走ることができるだろう。10本走っても10.00くらいで走ると思う。でもそれは10.00で走るための動きを練習することになる。その練習をしてしまうともう9.58で走ることはできなくなる。そのため、陸上トップの選手は1日に何本も走ることは避ける。100mを走るときは常に自分のベストの動きを確認しておきたい。

99%の全力を繰り返すことは、100%を1本走ることに比べて、弊害のほうが大きい。

また、100%の本気じゃないと見えてこない問題点が出ることがある。99%で走ると大丈夫だけど、100%で走ると頭を上げるタイミングが速くなる。そういう問題を見つけて直していくために本気の走りが見たいのだ。99%の走りなんか1時間繰り返しても意味がない。

言葉にすると簡単だけど、これを受け入れてくれるご家族はほぼいない。なぜならほとんどの人にとって、練習=時間だからだ。『うちの子は毎日3時間サッカーしているので』という方が連れてくる子どもは、もう100%が出せない体質になっていると言っても過言ではない。

そういうことを子どもにも説明して、とにかくその1本を全力でいくことを学ばせる。教える内容は走り方教室と変わらない。というか、間違ったことを教えることも多くあった。

例えば「足跡が一直線になるように走れば、ベクトルが同じ方向を向き、効率がよいのではないか」と考え、線の上をたどるように走らせてみたり(ボルト選手の足跡を確認する番組があり、間違いだったと判明)。

試行錯誤を繰り返しながら、半年も経たないうちに子どもの足が速くなったことが感じられた。(はじめはクラスの真ん中ぐらいになって、来年リレー選手を狙える位置に)と考えていたのだが、一気にクラス2番になった。そして6年間リレー選手の座を守り続けてくれた。想像していたよりも簡単に足は速くできるという事が分かった。

自己肯定感は高まったと思うので、5年生くらいからは走る練習はしていない。僕にとっての運動は、しょせん勉強をするためのリフレッシュという位置づけである。楽しんでやってくれればいい。

うちがそうだったように『運動音痴の子どもをどうにかしたい』『自己肯定感を高めたい』というご家族はきっといるはずだ。そして周りに走り方を教えてくれる人がいないことに気づいて、焦っていると思う。そんな人の助けになればいいと思う。

僕自身、子どもの足が速くなっていく過程を見るのが楽しいので、この教室をやっている。